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巨刺と互刺、その他
鷗外の妻、森しげ傳記
 
 
 
 
 
2 0 1 8 年 < 2 >

 
< 2018年下半期・子どもの撮った面白い写真 >
 

 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 

< 私の会った国立の物知り >

咸臨丸にのって米国を視察した派遣団が帰国して、あちらの政治は代表者を選挙という方式でえらぶ。世襲ではなく、皆に知恵と人望があると認められたものに、前の代表者が座をゆずるのだと聞いた横井小楠(越前藩士)が「尭舜の治ですな」と即座にこたえたという。これは司馬遼太郎が書いていた話で、頭のいい人というのは、こういう頭の切り換え、知識の応用をするのかという見本のような話。

尭(ぎょう)、舜(しゅん)はともに中国の古代の帝王で、初代である黄帝から少昊(しょうこう)、嚳(こく)、堯と黄帝の子に帝王の座が継がれていったが、堯は子の丹朱に座を継がぜず他人である舜にゆずったので、徳ある聖王とされた。いわゆる禅譲のことで、明治まで五経を読んだことのある日本人なら誰でも知っていた一般教養。

こういう頭のいい人というのは間々おられるもので、私の治療院の患者さんにも何人かいらっしゃる。患者さんなので英文字のイニシャルで書くが、Nさんという方は私が森鷗外の奥方について一言いうと、「非常な美人で、かつするどい毒を吐く人でもあり、妲己のように怖れられました」と、すらすら受け答えしてくれる。私がポルトガルのポピュラー音楽を聞いていると言うと、ポルトガルだけでなくギリシアや黒海あたりのポピュラー音楽のことまで話をしてくれる。

なぜそんなことを知っているのか分らないが、ニコス堂の名の由来のニコス・カザンザキスについても、先刻ご承知だった。「漱石はともかく鷗外は傑物でした」と、私と同じ評価を、嫌味なく言いきる人でもあった。3年に一度ほど治療にみえ、3年に一度だから、私がまったく忘れたころに来て、二たび三たびそれきりになってしまう。ますます謎は深まるのである。

もう一人、Iさんという方がいて、この人も私の言うほどのことは、たいていの事は知っているという人である。たとえ未知のことを見聞きしても、即座に自分の知見を添えて整理しなおして投げかえしてくる。たとえば私が頭蓋骨の大きい人というのは、きまって身体壮健な人です、近藤勇、江守徹がそうですと言うと、「ソフトバンクの内川というバッターは、あの義経みたいな大きな顔で打っているのです」というような返し方をする。笑うほかない。

百覧強記という言葉にあてはめれば、Nさんはそうかもしれないが、Iさんはそうではない。が、どちらも自分流の知識と情報の整理の仕方があって、それがユニークなのである。そして、そうした整理の仕方というのは、やはり多くの読書を通してしか養われないのだという見本のような人である。

つい先日の週刊誌に、信州の山奥で炭を焼きながら歌をよんでいる知人について書いたコラムがあった。藤原正彦のコラムで、若年の著者は、おずおずと歌誌をさし出すその太い指に気圧され、真摯な歌に嫉妬したという。自分に何物かを所有する者は、それによって自分を大きく見せようとはしない、という話として読んだ。またそういう者が、都市田舎を問わず、隠れて暮らしているものだという話として読んだ。

 
 
 
 

< クィーンの2枚目 >

目下テレビを見ても、ユーチューブを見てもクィーンが否応なく目に飛び込んでくる。嫌いな人たちではなし避ける理由はないのに、どこか後ろめたい気持ちがあるのは、引っ越しのさいに持っていたレコードをすべて売ってしまったからで、売ったレコードや本のことで後悔するのは何度目か。

結成いらい何度目のブームなのだろう、祝わずにはいられない。大学生のころ4枚目のアルバムが出て、知合いの女の子が買った。テープに録音したのを聞いて、レコードは大事に取っておくのだと聞いて、私は言葉が無かった。

この4枚目に例の「ボヘミアン・ラプソディ」も入っていて、クィーンの地位は不動のものになった。それまでは、曲があまりにドラマチックなのに加えて、場面転換があまりに派手で急激で、なおかつ華麗すぎて過剰に狂躁的なコーラスのせいで、だれも正当に評価できなかったのだ。

当時のフレディ・マーキュリーは、どちらかといえば暗い顔をした人で、あのマニアックすぎる数々の曲は、あの人の激しい思い込みが書かせていたものだと分る。それが最も激烈に表れていたのが2枚目のアルバムだったのである。ヘンな物が好きだった者たちは一気呵成にクィーンに走り、女の子もブライアン・メイやロジャーテイラーの美青年ぶりに狂喜した。

美青年云々はともかく、もう少し後になって映画「ロード・オブ・ザ・リング」で、地底のオークや、ホビットやエルフと呼ばれる妖精や魔法使いの世界を視覚的に知ってから、フレディ・マーキュリーの歌ったものがどんな世界かを知った。それまではブリューゲルやボッシュの絵で多少知ってはいたけれど、それは絵の通りのぬめっとした世界で、クィーンの演奏するようなテンポの速い、キラキラとした狂躁的な世界ではなかったのだ。

時間をつくって映画も見たいと思っているが果たせない。時折ユーチューブで見ることはあるが、俳優の扮し演じるフレディ・マーキュリーには、吹き出してしまう。横顔はフレディというよりミック・ジャガー。そして、その後みたダッドの絵(「フェアリー・フェラーの神業」のネタ元の絵)も、明るい絵ではなかった。

 
 
 
 

<大阪北、勘定書きなし、一二三寿司>

「私の父は食通というより一種の偏食なのよ」というのが家人の父親にたいする評価で、その評価どおり義父の舌は越え優っている。関西へ墓参にいった折に、その義父が40年通っているという大阪の寿司屋に連れて行ってくれた。といっても、これが三度目。

もとより私の舌は当てにならないし、酒も飲まない。そんな娘の婿でも連れて行こうとするのは、自分が美味しいと思っているものを人にも食べさせたいからで、これこそ食通の証というべきか。付け台のまわりに9席あるだけの小さな店で、勘定書きはない。

今日あるものは鮪の大とろ、鯛、鮑、赤貝、鯵、秋刀魚、車海老、烏賊、章魚ほか後は忘れた。客が来てから帰るまで、主の手は実にいそがしく動いている。黒漆の付け台を布巾で拭き山葵を擂る、注文の魚の皮を剥いで端を包丁で去り、飾り包丁を入れる、穴子を蒸す、喉黒を焙る、しじみの味噌汁、蟹の始末、土産の鯖の棒寿司(雀)、穴子の棒寿司をつくりながら、かんぴょう、かっぱの海苔巻き、たまご焼き、その合間にそれほど俎板を拭かなければならないものかというほど、いちいち布巾を洗っては拭く。実にいそがしい。その俎板は中程が窪んでおり、包丁はぬらぬら見えるほど研いである。

店を出た義父の曰く、あんな店は主の目が客に届かなくなったら味は落ちる。味が落ちれば客は二度と来ない。だから10席より増やせないし、昼の商売もできない。上寿司いくら、ちらし寿司いくらの勘定書きもない店に、誰がふらりと入って来るものか。一晩に、ひとり幾らの客が何人来るか知らないが、良い魚を仕入れて家賃を払ったら、多くは残らないだろう。これは私も同感だった。

当てにならない私の舌でも、口の中でスッと溶けてゆく鮑は旨いと分った。それから玉子焼き。海老のすり身が入っているというが、上等の菓子のようだった。

義父の言った「主の目が客に届かなくなったら味は落ちる」という言葉は、身につまされる。ニコス堂も私の手が届かなくなれば、人は愛想をつかすだろう。それを考えれば大きな商売にはなり得るはずもない。大体において人に鍼療治をほどこして、四角い文字を読んでいるような人間が、それ以上に何をしたいものか。ゴルフかスキーかグルメの旅か。しかしそれでは妻子が可哀想というものか。

先日読んだ本に書いてあった易者の言葉を思い出す。百姓や漁師に満足のいく易をたてるには大変な知識が必要で、夜辻に立ってやるような易は易ではない。良かれ悪しかれ他人の暮らしの指針になるものでなくてはならないから、気休めだけで済むものではない。それには易者が金持ちになるようでは私心があって本物でない。易者は貧乏だが食うに困らぬというのが本物だ。〔 宮本常一『忘れられた日本人』世間師(2) 〕

 
 
 

<神の行ない、神の言葉>

山口県で2歳の子供が神隠しにあい、三晩帰らなかった。大分県からある男がやってきてその子を探し出し、両親のもとに返した。男は見返りを求めず、子供の家にすら上がらなかったという。その人の喋っているビデオを見たが、聖書から抜け出てきたような老人だった。

おさな児、道に迷ひて三夜帰らざりき。里人、警吏ら、すべからくおさな児をたずねたれども得ざりき。異国より男、海を渡り来たりて、たちまちに川の辺の岩に子を見出し、祖に返したりき。祖たち謝すこと篤く、贅食べ給へ湯浴みし給へと請ひしが、男肯はざりて疾くに去にけり、と書けば聖書にある物語そのものである。

「子供は上へ上へと進むから、下には行かない。祖父と別れたという地点から、私も山を登り始めた。川と崖があったが、崖へ行くことはないから、川へ向かった。ほどなく川中の岩の上に子供を見つけた」

「私は両親に、子供を見つけたらあなたにお渡ししますと言った。警察が私の手から子供を取り上げようとしたが、親にしかく約束したのだから渡さなかった。約束どおりに、私は母親に子供を手渡した」

「子供の祖父は、とにかく家に上がってくれと請うたが、私は断った。私は見返り無しに子供を助けたかったので、食事も風呂も断って、これから私の家に帰る」

この人の中にはこの人の神が住んでいて、この人を厳しく縛っている。だから警察という人の世の組織にも従わないで、自らの神の決めた規律に従って行動して帰った。アッシジのフランチェスコが説教を始めると、鳥たちがやってきて聞いたという言い伝えがあるが、この人が話し始めると、手に蜻蛉がやってきて留った。

 
 
 

< だれも演じられない西郷隆盛・・・NHK 西郷どん ! >

NHKの大河ドラマが、とうとうつまらなくなってきた。いや、はじめから皆、眉唾で見ていたのだ。私の知り合いが、いみじくも言っていたとおり、西郷なんて誰がやっても文句のつく役だ。だれの中にも西郷隆盛の確固たるイメージがあって、どんな俳優もそれを演じることができないという共通の認識がある。

それに加えて、林真理子の書く西郷だから、という逃げも最初からあったはずで、だから皆、どんな西郷が出てきても文句は言わない約束で見はじめたのだ。出てきた西郷はただの熱血漢だったが、約束したのだから、そんなことくらいで文句は言わなかった。

ただ、見る見るうちに勝手に西郷の値打ちが上がって、薩摩の身内はもとより、京都にいる諸藩の武士や庶民にまで「西郷先生」と呼ばれるというのは、納得がゆかない。それが西郷の魅力のなせる業だといいたいのかも知れないが、画面で見ているのはただの熱血青年だ。西郷隆盛実人物にそういう魅力があったことなら皆々知っているが、いまのドラマの西郷では無理がある。

このごろ遠藤憲一の勝海舟、○○の坂本竜馬が出てきたが、顔の売れた俳優が、あざとく出てくれば出てくるほど白ける。遠藤憲一も勝海舟を振られたけれど、どうやっていいのか分らない、松田翔太の一橋慶喜も西郷と一対一の芝居ができなかった。俳優として、こんなに恥ずかしいことはないだろう。

ここまでで良かったのは、薩摩の家老の調所広郷(ずしょひろさと)を演じた竜雷太。敵役だが泣けるほどよかった。それから薩摩の姫君の北川○○。当世の美人が、当時の姫様を演じてきれいだった。「八重の桜」(綾瀬はるか)のときに吉川晃司が西郷を演じて、茫洋とした人物像は出ていなかったが大きさだけは出ていて良かった。鈴木亮平はこの先、熱血だけでは、とても持たない。

 
 
 
 
 

この4月から「古医書を読む力をつけるための分科会」という輪講会をはじめました。読んで字のとおり、鍼灸治療の理論的な支柱となっている素問や霊枢という本を読む力をつけるためのトレーニングをする会です。

古文の漢字で書いてある本を読むためのトレーニングに、もっとも適しているのは、意味は二の次でいいので、とにかく書き写すことです。そうすると自然に意味も分って来るので…と、そう簡単には行かないのですが、まあその位しか方法はありません。

現在の仲間は3人。とにかく毎月、ノートに6ページほどの条文を書き写して、送り仮名と返り点を附ける。そして読み下し文を清書すると、一週間では終りません。中には「私、こういうの大好きなんです」という隠れキャラもいて嬉しいかぎり。

これを第一日曜日に持参して、部分ごとに各自に講じてもらいます。

私も、皆の前でテキトーを言って、後で恥をかくことも。しかし、自分の力で漢字の古医書を読みたいという後輩がいることは、本当に頼もしいことです。

 
 
 

< カメラ 2 >

写真ネタでもう一件。

子供が3歳の誕生日にカメラをほしいというので、中古のを一つ買ってあげたら、ずいぶん面白い写真をとる。

その前から私のカメラを持って、大人には撮れない写真を撮るので面白いな~、とは思っていた。どれも、夢の中のような風景。

ただ、カメラを持ちたがるようになった頃から、写真を撮ろうとすると、顔をそむけるようになった。

カメラもいいけれど、クレヨンで絵も描いてほしい。

 
 
 

< カメラ 1 >

訳があって、私の手元にライカなどという甚だ高級かつ希少なカメラがやってきた。デジタルではなくフィルム。

ニコス堂の新サイトをつくるとき、フィルムでとった写真を見返して、デジタル写真のつまらなさにびっくりしていたので、財布をはたいてフィルムを買ったり現像に出したり。

シロート写真なので、どうだこうだも無いのだけれど、デジタルお手軽になって失ったものも大きかったことを痛感。

もう一度、使いやすいニコンのマニュアルを買いなおそうか、などと心は千々に乱れるばかり。

 
 
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