さて、最後にもういちど立川昭二氏の著書にもどります。『病気の社会史』では、人間の有史いらいの流行病をとりあげています。前五世紀にギリシアに流行した疫病(病名不明)、十四世紀のペスト、今日のガン、これらの致死率はすべて4分の1だというのです。もちろんこれは偶然の一致です。しかし、これらの病気の流行には、必然の要素がありました。それは人間のつくる社会です。
人間は、もともと不完全なものです。そうした不完全な人間のつくる社会も文明も、不完全なものになるしかありません。ひるがえって、人間はこれまでに、ペスト、結核、コレラ、赤痢、梅毒、インフルエンザといった病気を克服してきましたが、これはひとりパスツールやコッホ、北里柴三郎などの細菌研究者の業績ではありません。結核を例にとるなら、劣悪な労働環境と、貧困を克服したからこそ、結核ものり越えられたのです。
人間は、みずから作った社会を改革することでしか、疫病を克服できません。しかし、不完全な社会は、いずれ何らかの致死量4分の1の病をみずから生み出すでしょう。そのとき、ペストや結核が現れたときと同様に、人間は無防備なのです。近い過去にエイズが、先年には、西アフリカにエボラ出血熱が現れたときのことを思い出せば、分かると思います。
いま、「うつ」が日本を、文明国をつつんでいます。この致死率が4分の1になることはないでしょう。しかし、歴史のうえの人間のおこないを見てみれば、これも間違いなく人間の社会の、誤った産物であることは明らかではないでしょうか。
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