一般に、精神病・メンタルの病というものは、時代や社会に大きな影響をうけ、ちかい過去では60年安保闘争で全国がゆれうごいた時期には、統合失調症などの精神病患者にもつよく、激しい症状が出たといいます。
人間の精神状態、メンタルの様相が、その人の暮らしている家庭や、働いている環境におおきく左右されるのは当然です。その地域や地方、その風土、属している国や民族のあり方にも影響をうけるということも、うなずくことのできる事実ではないでしょうか。
歴史のうえで精神病を見れば、ふるく中世ヨーロッパで舞踏病とよばれる集団ヒステリーが、くりかえし起こりました。舞踏病とは、現在では中枢神経の錐体外路系の障害が原因でおこる疾患ということになっていますが、中世ヨーロッパで起こった舞踏病は、これとは違う流行病であり、集団病でした。
どのような集団ヒステリーだったかが、立川昭二『病気の社会史』(岩波現代文庫)に書かれています。
「一〇二七年ドイツのコルヴィッヒという村で原発したといわれ、患者はいきなり狂騒的な発作におそわれ、踊り狂い、意識を失い、腹部がふくれあがり、やがて昏睡におちいり、ついには死に至り、生きのこった者はパーキンソン症候群に似た震えをのこしたといわれている」
「一二三七年にはドイツのエアフルトで、大勢の子供たちがこれに襲われ、一三七四年にはおなじくドイツのアーヘンに起こり、オランダに伝染し、ケルンだけでも五百人、メッツでは千人が踊り狂ったという。十五世紀には南イタリアで、タランチュラというクモに刺されておこると信じられた『タランチズム』と呼ばれる舞踏病が知られる。こうした流行性舞踏病は、十八世紀に一時再燃したあと、歴史から消えていった」
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