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いま病気の治療というと、まず病院の保険治療が頭にうかびますが、腰痛、肩こり、五十肩といった症状には、鍼灸の方が即効性と確実性があると思います。これは整形外科の分野ですが、この他にも、冷え性、妊娠中の「つわり」、不眠、といった不定愁訴症状、つまり理由や原因のはっきりしない症状にも、鍼灸は圧倒的な力がある。「うつ」もそうですね。
患者さんの脈をみて、お腹をみて、話を聞いて、病状の構造がこういうことではないか、と当たりをつけて、解決する鍼灸の力には、本当にすばらしいものがあると思います。私としては、病院に行く以外の選択肢の一つとして認知されるものにしたいと思っています。
昼を外で食べるという時に、いくつか食べたい店のメニューが思い浮かぶと思うのですが、ニコス堂の鍼も、そんな風に自然に思い浮かぶ選択肢の一つになれるようにと、頑張っています。
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鍼灸は、鍼という道具をもって、患者さんの気を養います。気というのは「生命力」と言いかえれば分りやすいと思います。具体的には、速すぎる脈はゆっくりと打ち、細い脈は巾ひろくなります。お腹の筋張りや、中で冷えびえする部分はなくなります。こうしたことで、身体が生きる力をとり戻すのが実感できると思います。不定愁訴の大部分はこれで解決してゆきます。
駆け出しのころは、鍼の刺激で患者さんの身体が変わるのだと考えていましたが、今は、自分と患者さんの気とが通って、患者さんの生命力が養われるのだと感じるようになりました。
鍼灸の古典書に「靜かにして以って徐(ゆる)やかに往かしむ。微にして以って久しくこれを留め、養うて以って痛痺を取る」〔霊枢・九鍼十二原〕とあります。患部の硬いところに当たると、つい突いてしまいがちですが、これは本当に理想ですね。
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この世界に入る前は、ホテルで10年ほど働いていました。バブルの真っ盛りで、高価な料理が手をつけられないまま捨てられて行くのを、毎日のように見ていました。こんなことをしていてはいけない、と気づいた時があって、もっとダイレクトに人の役に立つ仕事をしなければいけないのでは、という思いが生まれました。
夜間の鍼灸専門学校に入り、夜9時まで勉強したあと、朝まで往診のマッサージをして卒業しました。学校では伊藤瑞凰先生、齋藤鳳観先生に縁があって、古典鍼灸を習いました。ゴリゴリの古典派です(笑)
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経営者はまず、企業理念を明確にしろと言われます。それでたいていの会社は、鍼灸で笑顔のある暮らしをとどける、とか、自然治癒力に訴える本来の身体をとりもどす、といった理念を社是にします。が、当然これにはウソがあります。鍼灸は、そうした建前だけを見せても、患者さんに見透かされるところが怖いところです。
ニコス堂の場合、「人生は修行の旅。鍼術はその杖です」としてあります。これだけでは何のことか分りません。が、それでいいと思っています。私は自分の子供にも、一生かかってその意味が分れば合格、という名をつけました(笑)
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像一(しょういち)という名です。
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「像一トハ、一ナルヲ像(かたど)リテ生マルルモノナリ」と読み方だけは教えてあります。人は真剣に生きれば、35才を過ぎたころになって、自分の生まれてきた意味に気づくようになります。それが薄っすら分れば、親に感謝する気持ちも生まれます。そんなこんなで、人生の意味が分るようになるのは、50近くになってからです。私はもうこの世にはいません。
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抽象的な自己紹介になってしまって、申しわけございません。しかし、これが偽らざる私の本音です。もっと言えば、私は今日、明日の活計(たずき)がどうにかなればいいと思っているだけです。が、これだけでは、あんまりです。
鍼灸医学は、腰痛を治す、「うつ」を治す、という具体的な目的のある何物かではありません。巨大な知識の塊が昔からあるだけで、その一部をかじれば何かができる、というものではありません。鍼を持つということは、その全体をおぼろげながら知ることで、鍼の名人というのはその全体を明確に知る人のことでした。ですから、腰痛を治せて、「うつ」の治療ができない、というものではありませんし、風邪は治せるけれど白内障は治せない、というものでもありません。25年ほど何とかこの道で生きてきましたが、この当てのない鍼灸という原野が、やはり自分にはよく合っていたという気持ちです。
くり返すことになりますが、鍼灸の臨床ではウソはつけません。等身大の治療家が患者さんに見えるだけです。私を目の前にすれば、私が何者か、たちどころに分ることと思います。そんな話を聞いて興味があると思った方は、私に縁のある患者さんですから、迷わずにお出で下さい。必ず治ります。そうでない方も、鍼灸の技術的なことでは少しは自信がありますから、お出で下さい。なんとか治します。
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