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難治症・希少症例
 

9. ≪迷走神経麻痺、反回神経麻痺、嗄声に対する鍼灸治療

 
【患者】 50才・男性
 

【主訴】①嚥下障碍(物がのみ込めない)、②発声障碍

そのほか ③唾液過多、④右上肢挙上障碍、⑤味覚障碍

 
【原因】ウィルス性右迷走神経麻痺
 
【経緯】11月に風邪をひいたところ、運わるく迷走神経にまで風邪のウィルスに入り込まれ、神経麻痺を起こした。
迷走神経は脳から出て、頸を下り、さらに食道にまといつくように下降する神経である。
これが侵されると、【主訴】に上げたような様々な神経経路上の障害が出現することになる。
とくに①嚥下障碍は、生活のうえでは深刻で、誤嚥を起こすため流動食しか食べられなくなることから、痩せることになる。また誤嚥した際には、気管支症状を起こすことになるので、気の休まるひまがない。
また②発声障碍も、この患者さんの仕事上(仮に学校の教師としておくが)深刻で、拡声器を使って授業をすすめることになった。
また③唾液過多も問題が多く、なぜか溢れるように湧いてくる唾液を、嚥下障碍のため飲み下すことができないため、携帯する容器に取り置いておかなければならなかった。
発症から来院まで5ヶ月の期間があり、その間は内科医とともに様子見をしていたということだったが、ふと引っ越す以前のことを思い出して、当院を受診する気になったということであった。
 
【治療】症状は重篤かつ多岐にわたり、そのうえ初めて当たる治療だったので、成果をあげる自信はまったくなかったが、15年来の患者さんであったので、信頼に応えなければならないという一心で治療に取りくむことになった。
 
<第1~5診>3月30日治療開始 1週2回の治療ペース
最も早期に解決しなければならないのは、①嚥下障碍と②発声障碍であるが、当初は腎経をとる治療しか思い浮かばなかったが、次第に胸部の痛む点を目標にして、熱めの灸をすえるとよいことが分ってきたので、これを眼目にすることにした。
さらにこれを、厥陰兪-霊墟の打ち抜きの灸にして行なうようにしたところ、①嚥下については大きく改善された。
ただしこの患者さんは、強い刺激の治療には向かない方だったので、灸点紙を使っての施灸となった。
②発声については、後頸部から細めの鍼を深刺して、喉全体に響かせるようにし、また前頸部からは声帯の高さを確認して、置鍼・隔物灸を施すことで効果を出すようにした。
④右上肢挙上障碍については、条口を取って5番の金鍼を用いることで対応した。
 

<第6~10診>
③唾液過多については、唾液腺についての考察が必要である。 a.顎下腺、b.舌下腺は顔面神経支配であり、粘液性・將液性(さらさらしている)唾液の混合腺である。
c.耳下腺は下咽神経支配であり、將液性唾液の分泌腺である。
この患者さんの場合、粘液性の唾液が溢れるという話だったので、a.b.両腺の問題であることが推量できる。
したがってこの両腺に見当をつけて置鍼し隔物灸で温めた。
総じて、全ての症状に対する効果が上がってきており、患者・術者ともに何とかなるのではないか、という希望が見えてきた時期であった。


 
<第11~15診>
①嚥下、②発声については、第8診(4/23)の頃には誤嚥が少なくなり、12診(5/25)の頃には声量が上がったという。が、まだ授業に拡声器は必要である。
目視してみると、右の咽頭部はまだ開いたまま閉じていない。
③唾液量は、ずいぶん減ってきたが、夕方になるにつれて吐出量が多くなるということだった。
④上肢の挙上障碍については、この頃までには問題がなくなっていた。
 
<第16~20診>
①、② 何しろ声が出ないことには仕事にならず、拡声器を使うといっても、弱々しい声で授業を続けるのも大変に疲れることである。
しかし当初に比べて、声には張りがでてきた。
発声の改善には、肩周囲の筋肉がほぐれていると声も出しやすい、という患者さんの指摘もあって、マッサージも含めて様々な方法を試した。この時期でもっとも顕著な圧痛点は、肩井と厥盆である。ことに厥盆の痛みは、最後まで残った。
<第21~25診>治療ペースは週に1度
①、②ようやく、時々拡声器を使用する程度になった。声にも一段と張りが出てきた。
③唾液の吐出量は半分程度になっているが、相変わらず携帯容器が必要である。
止めていた飲酒も再開して、体重も増えてきた。
 
<第26~30診>
治療ペースは2週に1度
10月になって、ようやく拡声器も不要になった。
唾液の吐出量も減り、携帯容器も不要になった。
右斜角筋が痛み、これが最も気になる。
 

治療開始から7ヶ月を経て、ほぼ治癒ということになった。
当初は暗中模索の治療であったが、始めてみれば間もなく希望が見えはじめた。
何事も恐れずにやってみなければならないと痛感させられる治療経験だった。
また治癒するにしたがって、以前のように強い鍼ができなくなり、10月になってからは背部などはほとんど接触鍼治療(刺鍼せずに、皮膚表面に触れるだけの技法)になっていったことも印象的であった。