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<鈴木重子&ファビアン・レザ・パネ>

 
人はどれほど自分をごまかしたり、自分に嘘をついているものか?
 たとえば、目を閉じて時計の秒針の音だけを聞くようにしてみる。その外のことは考えてはならない。
 しかし10秒も経つと、人はふと頭に浮かんだことを追いはじめている。夕食のこと、電車の中であったいやなこと、新聞で読んだ醜聞。人の意識は10秒も一点に集中させることができない。

 同じように、まっすぐに立って両腕をだらりと垂らす。右の腕だけを、ゆっくりと頭の上にあげる。この時、動きに恣意的な動作が混じってはならない、ということにしてみる。
 腕は、腕の意思で頭上まで上がるのである。
 人は上腕と前腕の屈筋だけに意識を注いで、その自発的な筋力だけで腕を挙げなければならないことになる。

 意識の中にはいろんな想念が湧きでるが、腕に意識を集中させつづけることで、体の集中だけは維持することができる。少し訓練すれば、恣意なくして腕は挙がるようになる。
 ではごまかしのない声、恣意性のないで歌をうたうには、どうすべきか。鈴木さんの第一の問いはこんなところにあったのではないか。

 この人の歌には、きれに歌おう、あたたかい気持ちをとどけたい、すばらしい歌唱で人を感動させたい、という雑念がない。声にも歌唱にも演技・演出や装飾がない。
 素の自分というものがあり、その自分が声をだして歌っている。"Silent Stories"というアルバムに、それが結実している。

「My Foolish Heart」「Bridge」「My Romance」で伴奏しているピアノがこの上なく素晴らしい。あたたかく、美しい音、そしてどの音も厳しい緊張の上にある。ファビアン・レザ・パネという人。