header_nikos
       
 
 
 
 
 
 
 
 
治療日カレンダー料金access
 
 

< 9 . 1 1 の 中 村 哲 氏 >

 

9.11といえば平成13年で、あの晩のことはよく憶えている。夜11時のニュースを見ていたら、にわかに映像がきり替わって、ニューヨークの高いビルから黒い煙がもくもくと噴きだしている画面で、旅客機が衝突したのだという。それだけでは間抜けな操縦士が失敗してあのビルにぶつかったのだとしか思えないが、ともかく、はじめはそんな風にしか見えなかったものだ。

これは今は亡き筑紫哲也が勤めていた番組で、そうこうしているうちにもう一機やってきたと報じる間もなく、正真正銘の旅客機が飛んできて、もう片方のビルにまっすぐに吸い込まれてしまった。

筑紫哲也の瞬時の判断で番組は延長となり、今となってはテロであるらしいこの事件を報じつづけることになった。そこに請われて、電話で一こと話をしたのが中村哲氏だった。タリバンについて些かでも知っていたのは、当時この人しかいなかったのだろう、何事かをぼそぼそとしゃべった。何を話したか私は全く憶えておらず、コメントを述べただけだから30秒かそこらだっただろうが、話をはじめてしばらくすると、テレビから流れ出てくるものが全く違うものであることに気づかされた。

テレビの、そのまた向こうの電話の声が、聞いたことのない声なのだ。ただぼそぼそと話す声の重さが尋常でなかった。筑紫哲也がなにかを質問し、それにまた答えたが、答の中身より、人の言葉と声に軽重のあることをはっきりと知らしめた。その後私が知ったのは、中村哲という人は日本の神経内科の医師だったが、アフガニスタンでらい病のひどい有様をみて放っておけず、昭和60年(1984年)当地に渡った人である。病人を診ているうちに、水不足がアフガニスタンの人の苦労の源だと気づき、国中に井戸を掘り運河まで通した人である。

この人はまた、別のテレビのインタビューで何故かくも長い間アフガニスタンのために尽くすのかを聞かれ、この地の人が困っているのを見て何もしないというのは、日本男児としてどうなのかと思うのです、とこれもぼそぼそと話した。当時プライドとか誇りに思うという言い方が世に蔓延して、あらゆるスポーツ選手が世界大会に勝つたびに、日本人であることを誇りに思うというようなことを言っていた。これも聞くたびに、有名なニュースキャスターの場合と同様、言葉の重みを思わされた。

中国の古い医書に「上工は国を治し、中工は人を治し、下工は病を治す」という言葉がある。工とは医者ということで、この有名な一条はあちこちで引かれるが、中村哲氏に触れる人がないので、不遜ながら私が言っておく。