日本でも江戸時代に「ええじゃないか」といった、集団ヒステリーが、繰り返して起こった歴史があります。中世のヨーロッパはキリスト教教会と封建領主に強固に支配される管理社会でした。江戸時代の日本も封建領主である藩と、強固な身分制度に支配される管理社会でした。

ふりかえって、現在私たちが暮らしている社会をみれば、これも、強固な管理社会とは言えないでしょうか? 会社も役所も学校も、そのなかでは平均的なメンバーであることが強く求められています。せまい決められた幅の中におさまっていなければ、非常に生きにくい世の中・社会です。

そしてまた、日本人のメンタリティ自体が、そうした均一性を好み、平均的なところに落ちつこうとする性質をもっているようです。私たち日本人は、自由を愛するようでいて、無意識の部分では、じつは強く管理されることを望んでいるようです。

 
 
     
 
 
 


私たちは本質的に管理されることを求めていますから、当然、管理された社会で安心して暮らすことになります。

現在では、その管理社会を頑固なデフレーションが固めています。おおくの人が安い賃金で雇われ、雇用形態もパートやアルバイト待遇がふえています。安い賃金で働かされているのですから、買うものも安価になります。当たり前のものを、当たり前の値段で買うということがなくなりました。人は安い買い物になれてしまい、当たり前の金額というものが分からなくなっています。

当然、物の質は落ち、それが食品であれば健康を害することになります、電気製品や工業製品であれば、安全をおびやかすことになります。衣類であれば、安物は一目瞭然です。安価な旅行バスに乗ったあげく、15名もの若者が死んだ事故がありました。いたましい事故ですが、価格の安いことが買い物をするさいの第一義となれば、それはすでに一種の拜金主義です。

拝金主義とは、道徳よりも人格よりも、とにかく人生でもっとも大事なものはお金、金さえあれば幸せになれるという考え方ですが、買い物のさいに、値段の安いことが最重要で、当たり前のお金を払うなんて馬鹿らしいと感じるようであれば、それは逆の意味での拝金主義です。私は、デフレーションの弊害は、社会に逆の意味での拝金主義=マイナスの拝金主義を蔓延させたところにあると思っています。人心と道徳の荒廃です。

 
     
 
 
     
     
     
 
 
 


私たちが暮らしている現在の日本の社会も、社会主義や共産主義の国とちがって一見、自由な世の中に見えますが、デフレーションで固められた、強固な管理社会ではないか、というのが私の見方です。そして、みなさんが悩んでいる「うつ」が社会を覆うようになったのも、日本に特有な管理社会がデフレで固められはじめた、2000年頃からです。

それまでは、「うつ」といってもいわゆる旧型の、いわゆるうつ病で、患者さん本人か、家族・家庭に原因のあるものが大半でした。ですから、患者さんの数もそう多くありませんでした。しかし、今はちがいます。私は「うつ」と書いていますが、以前にうつ病として、まれに見られた精神的な病は、いまや冷たい霧のように、日本の社会全体をつつんでいます。

ある会社の総務担当者が、私の会社でも5パーセントの社員が「うつ」で休職するか、戦力になっていない状態です、と言っていた言葉を思い出しますが、これが現実だろうと思います。社員の5パーセントという数字は、大変におおきな数字です。

さきの立川昭二氏は、中世ヨーロッパで流行した精神病を「熱い狂気」、現在の日本を支配する「うつ」を「冷たい狂気」と呼んでいますが、言い得ていると思います。

 
     
 
 
 
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